足がきれいに見えるシューズブランド・キサスポーツの展示と販売

「KISSA SPORT®(キサスポーツ)」展|キサスポーツとは

日本のレディースシューズデザインの第一人者と言われているデザイナー・高田喜佐さん(1941〜2006)が立ち上げた靴のブランド「KISSA SPORT®(キサスポーツ)」

40年も前から「年齢25歳以上のおとなの女性」に向けた「おとなのズック」というコンセプトで大人の女性ためのカジュアルシューズ・ブランドを展開して来られました。

子供の頃の素足にズック、時には裸足で走り回った自由さを靴の原体験として、その皮膚感覚、楽しさや解放感を味わえる履き心地と、お洒落さとを両立させた靴のデザイン・靴づくり。スニーカーとパンプスの中間のような、カジュアルだけど、履くと足がきれいに見える靴として定評があります。

2006年に他界された喜佐さんの、そのように稀有な靴を存続させたいファンのリクエストや周囲の思いもあり弟の高田邦雄さんが株式会社キサの代表としてブランドをリバイバルさせ、今も喜佐さんのデザインスピリッツを大切に継承した靴づくりを続けています。

今回は昨年に引き続き「KISSA SPORT®(キサスポーツ)」展として健康的で素敵な靴の数々。オブジェのような復刻モデルをはじめ、人気の定番商品をご紹介いたします。また現在、神戸ファッション美術館に所蔵されている靴も特別に出品展示させていただきます。

実物を手に取り、試着できる靴もございます。この機会に窮屈さから解放され、素足で大地を踏みしめるような、とデザインし残してくれた、健康的で素敵なKISSA SPORT®(キサスポーツ)の靴に触れてみませんか?

KISSA SPORT® 展

2018年8月25日(土)~ 9月2日(日)

10:00−18:00  火曜定休/入場無料

KISSA SPORT®キサスポーツ展|2018|足がきれいに見えるパンプスブランド展示と販売

【特別開催】高田喜佐の魅力を語る  高田邦雄×大谷知子×山田節子

展示初日の8月25日(土)14:00〜には『高田喜佐の魅力を語る』と題し、喜佐さんの遺志を継ぎKISSA代表を務める弟の高田邦雄さん、靴ジャーナリストの大谷知子さんから、喜佐さんの友人でありアルテマイスター顧問でもある山田節子がお話を伺います。

 

日時:8月25日(土)14:00~ ※事前申込不要、お気軽にお出掛け下さい。

KISSA SPORT ®(キサスポーツ)の靴の特長と評価

  • 「キサスポーツのスニーカーはスポーツスニーカーにないフェミニンさがある」
  • 「スニーカーとパンプスの中間のような、カジュアルだけどきれいにみえて、でも履きやすさはスニーカーのように心地よい」
  • 「履くと脚がとてもきれいにみえる」
  • 「履いてかっこよく、脱いだときにも型崩れしにくい凛とした佇まい」

どのような要素によって足がきれいに見えるのか?

靴と脚が一体感をもって美しくみえるのは、ラストの設計とアッパーのデザインのバランス感に尽きます。恐らく、その感覚を喜佐さんは自然と持ちあわせていたのではないか。

それはキサスポーツの靴の仕様を見ていると感じられます。

加えて履きごこちも美しさには大切な要素です。

履いている人が痛みを感じたり心地よく思えなかったら、カタチがどんなにかっこよくても、足元はもちろん、全身も含めて美しさは完成しないと思いますので。その点でも喜佐さんは職人たちとやりあいながらミリ単位の調整を行っていたと聞いています。(笑)靴自体をみても納得できます。

【 KISSA SPORT / キサスポーツ 】のナリタチ、カタチ。

キサスポーツ・企画担当:橋本憲さんのインタビューより

KISSA SPORT®と高田喜佐のヒストリー

高田 喜佐

1941年、東京都生まれ。

多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業。

卒業後、シューズメーカーに入社。まだまだ戦後復興の続く60年代、おしゃれのための“デザイン”よりも、多くの人の需要に答える“履きモノ”を効率良く、たくさん作ることが求められた。そのような時代に就職し需要に答える“履きモノ”を作るよう義務付けられ、その葛藤から喜佐の軌跡が始まります。

 

その当時から、靴は人の心とスタイルを彩る魅力あるアイテム、と思い続けていた喜佐は、履きモノを量産する仕事に違和感を感じていたそうです。

泣きながら、「私がやりたいのはこういうことじゃない」と悔しさを語ったことも…。

靴はファッション――の思いを胸に、メーカーを退社し、

1966年、初の個展「靴のファンタジー」を銀座の画廊で開催。

 

当時、アートはもちろんファッションの対象でさえなかった靴で個展を開くことは、喜佐以外に思いつきもしないアバンギャルドな発想でした。

これが、KISSAと日本のファッションシューズの夜明けとなります。展示された靴たちは、今では美術館にも収蔵される美しい造形のパンプスやブーツなど、日本のファッションシューズの原点です。

 

この個展で自信を得た喜佐は、シューズブランド「KISSA」を立ち上げ、時代に先駆けた女性シューズデザイナー兼ブランド経営者として、新時代の扉を開いていきます。

1970年代にポックリとファッション・ズック、マニッシュなカジュアルシューズを発表。

70年代、時代は喜佐が切り開いた“ファンタジー”を求め始めます。生活必需品としての衣服や履きモノが行き渡ると、今度はデザイナーが作る“おしゃれ”のためのデザインを人々は求めていきました。

 

空前のDCブランドブームが生まれ、今も人気のデザイナーズブランド、キャラクターブランドが次々と生まれていきました。

その当時、人気DCブランドを集めた聖地だった渋谷パルコで、洋服と並んで唯一シューズのDCブランドとしてオンリーショップを構えたのは後にも先にも、喜佐の「KISSA」だけでした。

 

1971年に山本寛斎氏がロンドンで開いたコレクションショーに靴のデザインを提供し、川久保玲氏や三宅一生氏とも出会い、「コムデギャルソン」や「イッセイミヤケ」が世界に衝撃を与えたとき、その足元には喜佐がデザインした靴があったのです。

こうしてKISSAの知名度は高まり、

1977年、株式会社キサを設立。その後青山に「ブティックKISSA」をオープン。

80年代にはオンリーショップも全国に増えていきました。

 

店が増え、商品が増え、生産量も増えました。しかし、バブル消費を追い風にどんどん増産される自社の靴は、もしかして彼女に、60年代にメーカー生産の靴に疑問を持ち、独立した頃を思い出させたかもしれません。

 

「たくさんある商品と在庫の中で自分が本当に作りたい靴、残したい靴は何か?」

 

バブル全盛期に、そう自問した喜佐は、ブティックをすべて閉め、会社を縮小。

本当に必要な靴をだけを世に送り出す、エコロジーな1足集中型のデザインに方針転換します。喜佐が改めて考えた本当に残したい靴、作りたい靴とは、

「ローファー」、「ひも靴」、「シンプルなミドルヒールのパンプス」、「サンダル」、そしてキャンバススニーカーとパンプスを融合した喜佐の代名詞でもある「ズック」の5つだけでした。それを集めたのが「KISSA SPORT®」です。

 

常に「機能と夢が交わる靴」をめざし、エレガントでありながら、マニッシュでスポーティなデザインを生み出してきた喜佐が、その本質を極めて行きます。

バブルのデコラティブな時代に、素足のコンフォートと心躍るエレガンスを融合したデザインは、常に時代を切り開いてきた、いかにも喜佐らしい靴作り。

「ノームコア」といった21世紀のトレンドを予言していたかのような軽やかでエレガントな靴たちでした。そうした彼女のデザインは、2006年まで発表され続け同年、入院先から展示会場へ訪れるほどの情熱を残し、喜佐はこの世を去りました。

2006年2月、肝内胆管癌にて死去。享年64歳でした。

 

日本のレディースシューズにデザインの概念を持ち込んだと評価され、以後靴デザイナーの草分け的存在となり、機能美と遊び心が融合した大人のためのカジュアルシューズは、今も多くのファンに支持され続けています。

 

要約転載「高田喜佐のストーリー」出典

KISSA SPORT®/キサスポーツ公式通販サイト